春日大社国宝殿

日本式甲冑の概要

甲冑かっちゅうは身体を保護する武具で、胴部を護るよろいと頭部を保護するかぶとからなる。
日本の甲冑は、古代・中世・近世で様式が大きく異なる。古代のよろい短甲たんこうといわれる鉄板矧合てっぱんはぎあわせの甲と、あなを開けた小鉄板(鉄札てつざね)を紐で連結した挂甲けいこうがあったが、やがて短甲は消滅し、鉄札製よろいだけとなった。かぶとは鉄板を鋲留びょうどめしたものが普通で、正面中央を尖らせた衝角付冑しょうかくつきかぶとと、鉢の前方にひさしがつく眉庇付冑まびさしつきかぶとがあった。
こうした古代の甲冑を基に十世紀頃、大鎧おおよろい胴丸どうまる胴丸鎧どうまるよろいという中世の甲冑が成立した。大鎧は騎兵用で星冑ほしかぶと(兜)が付属した。胴丸は歩兵用で基本的に付属品はなかったが、時に星冑ほしかぶと(兜)、袖、杏葉ぎょうようを付けた。また大鎧と胴丸を折衷せっちゅうした胴丸鎧があった。十三世紀後半には腹巻はらまき腹当はらあてというよろいが現れ、十四世紀には筋冑すじかぶと(兜)も成立した。時代と共に大鎧・星冑は実戦から遠ざかり、胴丸に筋冑(兜)と袖を付けた三物みつもの皆具かいぐの胴丸が騎兵を中心に使用された。
十六世紀末には当世とうせい具足ぐそくという近世様式の甲冑が成立した。南蛮胴なんばんどうや旧来の胴甲どうよろい金胴かなどう)の影響を受け、大型の鉄板の打出しや二枚胴にまいどうなど、製作が容易で堅牢な甲冑で、籠手こて佩楯はいだてなどが付属した。
現在、よろい馬手めて側(向かって左側)に身体を入れる引合ひきあわせがあり、草摺くさずり八間はちけんよろいを胴丸、背中に引合があり草摺七間のよろいを腹巻としている。しかし中世では前者が腹巻、後者が胴丸であった。これは戦国時代の混乱で、よろいの構造と名称が逆転して現在に至っており、国宝などの指定名称もこれに従っている。