春日大社国宝殿
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【重要文化財】
てつじゅうはちけんにほうしろほしかぶとばちおよびよろいかなぐ
鉄十八間二方白星兜鉢及鎧金具
〜平安時代〜
兜鉢
鎧金具
寛政3年(1791)の
本談義屋
ほんだんぎのや
の火災で罹災した鎧金具。古図や記録から元来は紫と
萌黄
もえぎ
の
片身替
かたみがわり
で
大袖
おおそで
は
逆沢瀉威
さかおもだかおどし
の大鎧であったことがわかっている。兜鉢の間数や星の数、
裾金物
すそかなもの
など春日大社の大鎧の中でも最も古い様相をしめす。
焼損しているものの日本甲冑史上貴重な作例であるため、重要文化財に指定されている。
【重要文化財】
てつにじゅうはちけんしほうしろほしかぶとばちおよびよろいかなぐ
鉄二十八間四方白星兜鉢及鎧金具
〜鎌倉時代〜
兜鉢
鎧金具
寛政3年(1791)の
本談義屋
ほんだんぎのや
の火災で罹災した鎧金具。兜の
眉庇
まびさし
左右に雌雄の鹿と、菊花と紅葉、傘の金物が特徴的。
胸板
むないた
と袖の
冠板
かんむりのいた
には
流水文
りゅうすいもん
や菊花など、全体的に和歌などに登場するモチーフが多用されていることから「
歌絵金物
うたえかなもの
」とも称されている。
焼損しているものの日本甲冑史上貴重な作例であるため、重要文化財に指定されている。
【重要文化財】
てつにさんじゅうろくけんしほうしろほしかぶとばちおよびよろいかなぐ
鉄三十六間四方白星兜鉢及鎧金具
〜鎌倉時代〜
兜鉢
鎧金具
寛政3年(1791)の
本談義屋
ほんだんぎのや
の火災で罹災した鎧金具。『
集古十種
しゅうこじっしゅ
』には罹災前の本作が記録されており、赤糸威大鎧(竹虎雀飾)と同様に鮮やかな赤糸威の大鎧であったと推定される。兜の
眉庇
まびさし
や
吹返
ふきかえし
の金具に表現された
高肉透彫
たかにくすかしぼり
の
牡丹文
ぼたんもん
が豪華かつ精緻で、往時の豪華絢爛であった姿を想起させる。
焼損しているものの日本甲冑史上貴重な作例であるため、重要文化財に指定されている。
りんどうもんすかしぼりよろいかなぐ
竜胆文透彫鎧金具
〜鎌倉時代〜
本談義屋
ほんだんぎのや
伝来であるが、既に宝永七年(1710)には
壺板
つぼいた
、
鳩尾板
きゅうびのいた
、
栴檀板
せんだんのいた
だけになっていた。元々は
緋威
ひおどし
の大鎧だったようで、飾金物には笹と
竜胆文
りんどうもん
が表現されている。鳩尾板の笹竜胆と2羽の
雁
かり
の文様が、
大和士
やまとさむらい
で春日社にも崇敬があった越智氏の家紋と近似しており、越智氏奉納の可能性を示唆している。奈良甲冑師制作と推定される。
鎧の一部しかのこっていないものの、往時の春日社と大和士の関係をしめす貴重な作例である。
てつさんじゅうろっけんあこだなりすじかぶとばちおよびよろいかなぐ
鉄三十六間阿古陀形筋兜鉢及鎧金具
〜室町時代〜
本談義屋
ほんだんぎのや
に伝わり、寛政3年(1791)の火災で焼損したうちの1領、『
集古十種
しゅうこじっしゅ
』等の史料から黒韋威胴丸に付属した
冑
かぶと
と知られる。鉢裏に「春田宗次」の刻銘があり、奈良の甲冑師として活躍した春田家の製作と分かる。
春田家は
頂辺
てへん
が凹んだ形の筋兜を多く製作しており、この形式は
阿古陀瓜
あこだうり
に似る事から近世には
阿古陀形
あこだなり
と通称された。